見えているのに見えていないコト

初めまして。シシシです。色眼鏡を捨てよ。変化の多い新時代を生き抜くため、悪しき習慣は断ち、良き習慣を取り入れる。本当に価値のあることを実践するブログ。

【複数のスキルを学ぶことは非効率なのか】

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皆さん、超オハヨー!ぶどうにもこんなに種類がある!シシシだよ( ^ω^ )

 

複数のスキルを学ぶことは非効率なのではないか?って思ったことありませんか?シシシはあります。

 

例えば、「ドラムができるなら、またゼロからギターを学んでも意味ないじゃん。」「日本語が出来れば、英語なんていらないじゃん」

 

と言ったこと。

 

今日もどこかでこんな会話が交わされているかもしれません。

 

複数のスキルを学ぶことって、本当に非効率なんでしょうか(・・?)

 

少し考えてみたところ、実体験としては意味があるのかな、と思う事の方が多くなってきています。

 

視野が広がり、理解が加速する

複数のスキルがあると、1つの物事を多角的に理解することができる様になり、視野が広がります。別の言葉で表すと、見えていないことが見える様になります。

 

例えば、ドラムはリズム楽器なのでテンポキープや合いの手(フィルイン)に集中しますし、一方ギターはリード楽器なので、バッキングの役割はあるにしろ、メロディラインに集中します。同じ音楽を奏でる行為でも扱う内容は異なりますので自然と意識が変わります。

 

他にも、絵を描くことができると絵画を鑑賞するときにも理解度が深まります。この陰影つけるの難しかっただろうなー。なんでわざわざこの技法にしたんだろうなーとか。言葉で表現できないインパクトや意味を感じ取れる様になります。

 

このように、1つの事柄を多角的に見つめられる様になることで、一方方向からは気がつかなかった発見をすることができる様になります。

 

出来ることを繰り返す方が非効率

例えば、成人した日本人であれば映画を観るために必要な日本語の習熟度は99%だと思います。

 

新しい単語や表現など、これ以上、習熟度をあげても、日常生活でその効果を感じられる様になるのは難しいです。

 

その分、英語を日本語の代用品として日常的に使用してみたらどうでしょうか。

 

日本語で視聴したら伸ばすものはほぼ0ですが、英語は、例えば80%の習熟度から更に習熟度を伸ばしていくことが出来ます。

 

同じ事をやるならもう既に出来ることに時間を使うのではなく、多少のストレスはあるとしても、まだ出来ないことを練習したほうが後々のためになると思えてきます。

 

壁を超えれば非効率ではない

若干外れますが、これも書いておきたかったので考えてみました。

 

「イギリス人は生まれつき英語が話せるけど、僕らノンネイティヴは余計に時間を使って勉強しないといけないじゃん。ずるいなぁ」

 

確かに、新しいツールの学習初期では遅れを取る可能性がある事は否定できません。

 

何故ならこの段階では「音階練習」とか「これはペンです」みたいな全く役に立たない練習を繰り返すからです(^_^;)

 

ですが、壁を一旦超えてしまえば、物事に対する気づきの視点がどんどん増え、結果的にその恩恵は加速度的に高まってきます。

 

その為にはある段階に達するまでは絶対に辞めないという覚悟する必要があります。頑張るぞ!中途半端で辞めてしまったら、それこそ非効率になってしまいますね٩( 'ω' )و

 

まとめ

複数スキルを学ぶ事が必ずしも無駄であるとは思えない、と言うのが現在の感想です。

最初の壁を抜けるには時間がかかりますが、その後を楽しみに頑張ってもいいのかなと思います。人生は長いです。早ければ早いほどその恩恵にあやかれますしね。

ビジネスであれ、デザインであれ、ダンスであれ、イラストであれ、複数スキル所有してみてもイイですネ(^^)