【ミャンマーでの瞑想体験】
先日、曹洞宗のお寺にて座禅修行をして来たのだが、実は数年前、ミャンマー、ヤンゴンにてヴィッパサナー瞑想の泊まり込み修行に参加したことがある。
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当時、転職期間中に少し時間が空いたので長期間海外に行ける良いチャンスだと思い、参加を決意したのだ。
正直、修行地はインドでもタイでもどこでもよかったのだが、唯一、ミャンマーは行ったことがなかったし、仏教の本場インドではヴィッパサナーは消えてしまっているらしかった。
修行期間中は、起きている時間はほぼ瞑想、シャワーも無いので桶に溜めた水というハードコアな内容。
日本を離れ、携帯や本、もちろん、人と話すことさえ禁止されたあの場所で得たものは大きく、人生哲学に大きな影響を与えた。
今回はその時の話を。
超スパルタ
お世話になったのはヤンゴンにある、チャンミーメディテーションセンター。
外国人も積極的に受け入れており、10日間の滞在が証明できれば誰でも迎え入れてくれる。
ヤンゴンにはいくつかメディテーションセンターがあるが、チャンミーは食事が美味しいと聞いていたので迷うことなくここにした。
センターでの事務的なやりとりについては長くなるので割愛するが、特に事前予約なしで参加を受け入れてもらえる。
持ち込みは禁止で携帯や本、パスポートなどは金庫に預けてからのスタートとなる。時期にもよるが部屋は原則2人一部屋だ。と言っても施設内は会話はもちろん、目を合わせることすら禁止されているのでまるで透明人間と生活しているよう。
10日間以上であれば原則いつまででもいて良いらしい。実際、同室になった日本人は既に3ヶ月も滞在していた。
主なスケジュールは以下の通り。
朝4:00起床
5:30朝食
10:30昼食
その後絶食
9:30就寝
それ以外は全部瞑想の時間。
詳細なスケジュール
あと時々、お坊さんの部屋に呼ばれて自分の瞑想の進捗をレポートをする。
スケジュールは誰かが呼びに来てくれるわけではないので自分だけが頼りとなる。
修行は、キツイ
人と目を合わさず、会話せず。通信手段もない中で、一切外界と遮断される。自然と自己に向き合うしか無くなっていく。
普段からスマホをバンバン使っているのでこれは堪える。また、ミャンマーは高温多湿で暑いし、痒いし、痛いしで。30分も座禅を組んでいるとすぐに足、背中が痺れて来る。
それら苦痛を全部観察する練習が日がな一日続く。
冒頭の3ヶ月滞在している日本人を見ていると超人だと思わざるを得ない。全然動かないで一日中座禅やってた。無理だと思った。
楽しみといえば食事ぐらい。噂通り美味しく、食べたいだけ食べることができる。地元のお母さんたちがボランティアで準備してくれているようで抜群においしい。食後には甘い紅茶、デザートまで出る。もっと厳しいセンターだと肉や特定の食材が禁止だったりするらしく、個人的には唯一の楽しみが奪われるので耐えられそうな気がしない。
ちなみに、お母さんがたは、外国人であり、部外者である我々にも深々とお辞儀をする。ここで修行している者は誰でも分け隔てなく、立派なお坊さんなのだ。
感想
何か得たかと言われると何も得ていないとも言えるし、得たとも言える。何かを得ようとしてこの修行に参加するのは何か違うと感じた。
前述の肉体的苦痛はまぁ、ギリギリ耐えられるのだが、これが終わっても「何も得ない」という事を受け入れることが瞑想の真理だろうなという思いがでてきて、結局自分はそれを受け入れられなかったという感じ。ミャンマーまで来て何もしないで座ってるなんて何やってるんだ?というか。得ない事を受け入ることが出来れば、修行完成なのではないか。出来なかったけど。
ここまで自分を追い詰めている状況だと、面白いことに自己催眠みたいな効果があるのか、普段考えない死についての考えがよぎった。
今感じている肉体的、精神的は苦痛、人間関係の苦痛、この世のすべての苦しみは死ぬために起こってる。つまり、すべての苦しみは自分で作り出してるということ。生きることと苦しみはセット、無くなるときは死ぬ時、その輪から外れることが解脱なのかもしれない、とか。だから来世繰り返さないなどなど。
仏教では、知識があるだけでは理解したこととは見なされない。体験が伴わないと真に理解したことにはならない。ここが西洋的な考えとは異なる所だ。
何も得ないことを、受け入れられたことが得たことになるのではないか。コレはあまり外れてないと思ってる。
感じ方は人それぞれだと思うし、もっと深いと思うが、感じたのはこんな感じだ。
センターにはどこの誰かわからない馬の骨である自分にも衣食住、修行の機会を与えてくれた。今後ミャンマーのお坊さん見かけたら手を合わせて感謝することにした。
機会があれば、日本でも開催している施設はあるので長期休暇が取れた時にはやってみると良い。何かを得る、とは期待せずに。
↓ミャンマーのサヤドー氏の本を読んでおくとさらに理解が深まる。
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