見えているのに見えていないコト

初めまして。シシシです。色眼鏡を捨てよ。変化の多い新時代を生き抜くため、悪しき習慣は断ち、良き習慣を取り入れる。本当に価値のあることを実践するブログ。

【真面目がもてはやされた時代は終わった】

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引き続きプライムリーディングで本を読んでいる。

 

堀江貴文さんの本が充実していて、ほとんど読んだ。凝り固まった、悪しき習慣に異を唱えてくれるのが痛快だ。

 

著作の中で彼が一貫して言っているのは誰でもできる事は人にやらせろ、無駄な事は徹底的にするな、と言った内容である。

 

近年、寿司職人の修行不要説を唱えて大炎上した彼であるが、同感を禁じ得ない。何年も年長者の下について魚さえ触ることができずに、10年間皿洗いするということが無駄だと彼は言っている。

 

上の言うことをよく聞く、真面目な人がもてはやされる日本社会ではあるが、これは日本経済の停滞につながっていると思う。

 

たとえば、

真面目な人は、例えば写真にタンポポを乗せるような仕事でも、一切気を抜かず、一つ一つ手作業で文句も言わずに、仕事をするだろう。

 

他方で、

効率を考えて楽をすると言うマインドを持っている人ならば、自分の分け前を半分にしてでも他人にアウトソースし、楽をするかもしれない。

 

日本社会だと、前者の方が良い行い、後者が悪い行いとみなされるのは間違いない。

 

しかし、効率よく、楽をすることが本当に悪いことか?

 

話の続きを付け加えてみよう。

後者の人は空いた時間で自分の将来の目的のために自己研鑽に時間を割いているとしたら? 

 

人を使って、時間を買う。

誰にでもできる作業ならば、自動化する。そして空いた時間でもっとクリエイティブな作業に没頭できる。

 

IT出身者に多いというか、プログラマーの思考はいかに楽をするかということに長けているように思う。

 

真面目であれば真面目であるほど、ブラックな環境に耐え忍び、思考が硬直してしまいかねない。そして、大量のイエスマンを生み、イノベーション起こせずに、茹で蛙状態になってしまうのだ。

 

果たしてどっちが健全かと言われれば、以前であれば前者、と答えていたかもしれないが、近年は断然、後者と答えてしまうだろう。